名古屋地方裁判所 昭和26年(タ)4号 判決
原告 竹野とよ子
被告 竹野寅男
一、主 文
原告と被告とを離婚する。
原被告間に昭和二十三年四月十三日出生した長女竹野孝に対する親権者を原告と定める。
訴訟費用は被告の負担とする。
二、事 実
原告訴訟代理人は主文同旨の判決を求め、その請求原因として次の通り陳述した。
一、原告は被告と昭和二十年十二月頃より被告の肩書住居において同棲を始め昭和二十三年四月二十七日婚姻の届出を了したが右届出前の同月十三日原被告間に長女孝が出生した。
二、被告は原告と結婚以来怠惰で本業である建築設計業に精励することなく而も昭和二十二年頃より女道楽をするようになり、これが為に夫婦間の円満を欠くことゝなり、更にその翌年頃より賭博に耽り一家の生活は愈々困窮に陥つたので原告は自己の衣類、その他身の廻品を売却して生活費を捻出して辛ろじて生活を支えて来たのであるが、被告は夫としての責任を全然自覚することなく原告が如何に生活に苦しんでも少しも協力しないだけでなく依然として賭博に耽り怠惰で徒食するので原告は被告との婚姻関係解消を決意し、その頃名古屋家庭裁判所に離婚の調停申立をしたところ被告は反省の気色を示し善良な夫として更生する旨誓つたので右調停申立を取下げた。
三、然し右誓約は単なる一時を糊塗する方便で被告は原告の右離婚調停の申立取下後も依然として従来通り建築設計業を打捨てゝ生活の資を得ることに努力せず長女孝出生後も妻子の現在及び将来のことにつき何等の考慮を払つてくれないので原告は生活苦に堪えかねて遂に昭和二十四年九月頃長女孝を連れて原告の実家に身を寄せ現在に及んでいる。
四、右の次第で原告母子は被告と婚姻関係を継続して行けば生活を維持して行くことが出来なくなつて自滅の他はないので止むなく被告と正式に離婚して将来原告母子が生活を立てゝ行く途を講じ度いために、こゝに民法第七百七十条第二号及び第五号を理由として裁判上の離婚を求めるため本訴に及んだ。尚昭和二十四年十月三十日名古屋家庭裁判所に再度の離婚の調停申立をなし、調停十五回に及んだが被告は第一回、第八回の二回に出頭したのみで殆ど出頭しなかつたので昭和二十五年十二月十二日遂に調停を為さずとの決定を受けた。
以上の通り陳述した。<立証省略>
被告は請求棄却の判決を求め答弁として、
一、原告の請求原因第一項の事実は認める。
二、同第二項の事実は否認する。
三、同第三項の事実中、原告が長女孝と共に原告の実家に帰つている事実は認めるがその他の事実は否認する。
四、同第四項の事実中離婚の調停が成立しなかつたことは認めるが其の他の事実は否認すると答へた。
三、理 由
真正に成立したものと認める甲第一号証(戸籍謄本)により原被告が昭和二十三年四月二十六日婚姻した夫婦で、此に先だつ同月十三日其の間に両人の長女孝が出生していることが認められる。
ところで証人市野きみよの証言及び原告本人訊問の結果に右甲第一号証を綜合すると次のような事実が認められる。
(1) 被告は現在四十一歳になつているが昭和十六年頃同じ会社に勤務中知り合つた五歳年上の右証人きみよと夫婦約束をし同女方に入つて同棲を始めたもので、昭和二十年初頃からきみよの二女で当時十七歳ばかりの原告と肉体関係を結ぶようになり、間もなくきみよに右関係を知られたが其頃原告は既に被告の子を懐姙していて同年十二月病院で之を死産し、原被告は其儘きみよ方に戻らす同月から被告の現肩書住所地で事実上の夫婦として同棲を始めるに至つたものであること。
(2) 原被告が右の如く別居同棲を始めてから間もなく一時絶えていたきみよとの往来も次第に回復するに至つたものゝ右(1) 記載の如く被告がもともときみよと内縁関係にあつたものであり、原告より十七歳も年長である等の関係から原被告の婚姻はきみよの同意が得られず為に冒頭認定の如く長女孝が出生した後の昭和二十三年四月十三日になつて漸く其の届出を為したものであること。
(3) 被告は右記の如く原告と共に現在地で同棲を始めて後間もなく勤先の会社を退いて独立して建築の設計、請負の仕事を始めたがこの仕事で工事の前受金等といつたような金が入つて一時手元が潤沢になると早くも喫茶店等に出入して金銭を費消することが次第に多くなり昭和二十一年二、三月から約二ケ月程のことではあつたが他に女をもつたこともあり、其後も金を手にすれば賭博に費す等金銭を浪費して得意先に不義理を重ねたので次第に信用を失つて昭和二十四年九月頃には営業上の收入は殆んどないような状況になり、原被告には共に格別の資産はなかつたので生活上の借財、不義理もかさみ、豊かでもない原告の母からもその頃までに現金で合計三万七、八千円、外に質草として衣類等を借受けたまゝになつているという始末で被告方の生活は全く行きづまり状態に立到つたのに被告は依然註文もなくなつた右営業以外の仕事には従事せぬといつて、十分健康体でありながら他に收入をあげる仕事方法を尋ねる等のこともなしに徒食し、原告に他から金借して来ることを強要し時に暴力をふるうという始末で、為に生活の破綻から原被告間に風波絶えず原告の被告に対する愛情も冷却の一途を辿つて、遂に後記(5) の如く原告の家出となつたこと。
(4) 原告は曾て女工をした経験もあり、健康でもあるので一子孝の看護の方法さえあれば工場に出て收入をあげることも出来るものであること。
(5) 昭和二十四年九月頃被告が東京都在住の弟のところへ借財に赴く旅費を作ろうということで、原被告連立つて前記原告の母きみよの留守宅から秘に衣類数枚を持出し入質したことがきみよに知られ、原告も漸くこれ以上被告とは夫婦関係を続けられぬと考えるようになり、きみよに聴いて同月十八日離婚の調停を申立てたが之を知つた被告から右申立を取下げたら予定通り借財して来て右質草を受出すと言つたので間もなく一応同申立を取下げたが結局借財も出来ず質草をきみよに返すことも出来ぬことゝなつて原告は同年十月再び名古屋家庭裁判所に離婚の調停を申立て孝を連れて実家に身を寄せるに至つたもので其後十数回に亘る調停の試みも被告が僅に二度出頭したのみであり被告は其の際も前記営業以外の労働には従事せぬと申立てたり等して結局右調停は不調に終つたこと。
以上の如き事実を認めることが出来て、他には右に認めたところと違う認定をすることの出来る証拠はないが、被告が前認定以外に所謂女道楽をしたと認める証拠もない。
おもうに、夫婦は互に協力して共同生活を守つて行かねばならぬものだから、場合によつては妻が夫を家に残して一人で共同生活の資料を得る為に他へ働きに出るということも必要であり、適当でもあろう。然し被告は健康な壮年者である。前段(1) (2) に認定したようないきさつで年若い原告を誘つて家を持ち子までも出来た被告が日々の生活費が得られぬ状況に立到りながら他に收入の道を求めず手をつかねて徒食遊楽しているのは全く夫としての義務を忘れた態度といわれても弁疏の辞はなかろうし、働ければとて幼児をかゝえた若い原告一人に夫婦の生活費を得て来るように要求することは自体無理である。被告が他に女をもつたといつても右は前記(3) の如く期間も短いことでもあるからこれは一時の迷と考えられぬことはないので直に離婚の事由とは認められぬ。然し被告が前記の如く原告妻子の生活を省みぬ態度は之を以てまた直に悪意を以て遺棄したものだとまではいえないとしても、原告に対し今後も引続いて前認定の如き態度行状の被告と共に路頭に迷うまで添遂けねばならないとまでは命ぜられぬと考えるので、右は民法第七百七十条にいうところの婚姻を継続し難い重大な事由がある場合に該当すると認めこゝに原告の本件離婚請求を容れることゝする。
尚、右離婚請求の認容に伴い前記孝の親権者については其の年令や其他前段認定の状況並に原告本人訊問の結果によつて認められる原告が之を養育して行く意思も能力もあることから考え原告を其の親権者と定めるを適当と認める。
よつて原告の請求を全部正当と認めて認容し訴訟費用の負担に付民事訴訟法第八十九条を適用し主文の通り判決する。
(裁判官 山口正章)